エンジンと“外側”にあるロマン──浅井健一が語る、クルマとバイクと自由

エンジンの唸り、夜のハイウェイ、どこかへ向かう衝動。浅井健一の音楽には、いつも“移動”や“冒険”の気配がある。

それは風景も伴うし、もっと身体的な感覚に近いものかもしれない。振動、音、風、匂い。そして「どこかへ行きたい」という、説明のつかない気持ち。

今なお伝説として語られ続ける3ピースロックバンド・BLANKEY JET CITYのフロントマンとしてデビューしてから35年余り。浅井健一の作品は、いつもエンジンの高鳴りと自由を感じさせる。

ガゾリンの香りがしてる〜

浅井健一さん
浅井健一さん

そんな浅井健一にとってクルマやバイクとは何なのか。ミニカーからはじまったという幼少期の記憶、近所でもらったバイクを改造していた高校時代。失敗したというはじめての愛車と、人生を変えたクルマ──

スマホとAIが当たり前になった現代において、クルマやバイクはどのような役割を持つのか? 必見の特別インタビューをお届け!

浅井健一とクルマのはじまり「ミニカーからだね、全部」

──浅井さんの楽曲にはクルマやバイクを連想させるような表現が多く登場し、かねてからモーターサイクル好きということは知られていますが、そういったものに興味を持ったのはいつ頃からですか?

浅井 そうですね。幼少期、たまにデパートに連れてってもらうと、毎回1台ミニカーを買ってもらってたな。Hot Wheelとか、Monzaとか覚えてるなー。家の周りや公園の全てを使ってよく遊びましたね。物語なんかを作ったりしてね。友達を誘ってね。

そこには多分、理由とかはないんだよね。ただなんか、ミニカーが好きだった。

で、そのままさ、ミニカーから本物のクルマに興味が移っていくっていうか。そういう流れだったと思う。

──電車ではなく?

浅井 電車はね、全然興味なかったんだよなあ。撮り鉄とかいるじゃん。俺にはちょっとわかんない(笑)。

──必ず決まった時間に来るとか、決まった路線を走るとか、そういう“正確さ”に電車好きは惹かれるみたいですね。

浅井 そうなんだ。初めて知った。俺は完全に逆でさ、なんかこう、自分で動かせるものの方がいいんだよね。線路がない方が。自分の意思でどこにでも行けるっていうかさ。そっちの方が好きだった。

あとね、やっぱり大きかったのはテレビの影響だよね。例えば一番初めの『ルパン三世』(※1)とかさ。宮崎駿が関わってた頃の本当に昔のやつ。あれに出てくるクルマがさ「メルセデス・ベンツ」なんだと思うんだけど、クラシカルなオープンカーでめちゃくちゃかっこよくってさ。

ただ走るだけじゃなくて、そのクルマ自体がもう“物語”みたいになってるっていうか。そおいうのを見てさ子供心の何かが動き始めたんだと思う。ワイルド7もでかいな。

あと、当時はたまーに街でさ、アメ車が走ってたんだよね。1960年代後半くらいの話。マーキュリークーガーとかコルベット、リンカーンとか、なんかこう、 見た瞬間に「うわ、なんかめっちゃんこカッコいいなって、自然にときめいてたよ。

※1 『ルパン三世』 第1シリーズ(1971年 - 1972年)にて、主人公のルパン三世の愛車として黄色いメルセデス・ベンツ・SSKが登場する。

浅井さんがニューヨークで撮影したクルマ(浅井健一さん提供写真)
浅井さんがニューヨークで撮影したクルマ(浅井健一さん提供写真)

「あのモンキーもらえませんか?」って言ったんだよね

──最初に乗ったバイクは覚えていますか?

浅井 めちゃくちゃ覚えてるよ。ホンダモンキー。名古屋のとある住宅街に住んでてさ、とある一軒家のガレージの奥にずっとモンキーが置いてあることに気づいててさ。完全にホコリかぶってて。

だからさ、ダメ元でピンポンしてさ、「これ、乗ってますか?」って聞いたの

──すごい行動力(笑)。

浅井 当時は高校一年生かな。そしたら「乗ってないよ」って言うから、「じゃあ、もらえませんか?」って。思い切って聞いてみました。多分向こうからしたら邪魔だったんだと思うよ。そしたら「いいよ」ってふつうにくれてさ。めちゃくちゃラッキーだった。

ただ、こう見えてうちの親はめちゃくちゃ厳しくて。そんなもん家に持って帰れるわけなくて。「なんでこんなのあるんだ!」ってなるから。だから仲が良かった近くの自転車屋に持ってってさ、その隣の空き地に置かせてもらって。タンク塗ったりとかして夢を広げていました。

──衝撃的なバイクとの出会いですね。乗ってはいたんですか?

浅井 いや、ほとんど乗れてない(笑)。だってさ、親の目を盗んで、こっそりしか乗れないから。でもなんかね、あれが“自分のもの”だったっていう感覚がすごい大きかったんだよね。まだ乗れてなくても、心の中に大切な大好きな事がひとつ生まれた感じ。

──ちゃんと乗るようになってからはどんなバイクに乗っていたんでしょうか?

浅井 高校3年生の2学期に友達の単車で大事故をしてしまって。それから長い間、ベッドの上の人生が始まってしまって。退院して家に帰った頃は、もうモンキー無くなっててさ。どういう流れだったのかはちょっと忘れちゃったな。だってもう42年も前の事だからな。怪我が治ってからはパッソルDに乗ってました。松葉杖を抱えながらね。で、19ぐらいかな。「サリンジャー」(※2)の原型になるヤマハのXSを買いました。

普通に考えたら懲りてバイクに乗るのも辞めると思うんだけど……。

──それでも乗り続けた?

浅井 乗ったねー。怖いっていう気持ちもあったと思うんだけど、それでもやっぱり乗りたいって気持ちが勝ってた。理由とかないんだよね

※2 サリンジャー号:ヤマハ「XS250」をベースに大胆なカスタマイズを施した、浅井健一の愛車。MVや楽曲にも登場するなど、浅井健一ファンの間では知られたバイクとなっている。

はじめて買ったクルマは「狼の皮を被った羊」

浅井 事故のせいで高校を辞めて、その後いっろーんなことがありまして。大分遅めに東京に出てきてさ。またまたいっろーんなことがおきまして。運よくBLANKEY JET CITYでデビューして、しばらくしてまとまったお金が入ったので、そのお金ではじめて自分でクルマを買うんだけど。それがポルシェ356のレプリカ。

見た目はめちゃくちゃかっこいい。丸くてさ、かわいくて。色も自分で決めて、金色にしてさ。 はじめてのクルマだし、夢があったんだよね。でもね、乗ってみたらさ、本当に全然ダメで。あの車屋わっるいわー。エンジンはビートル。

浅井さんがはじめて買ったポルシェ356のレプリカ(浅井健一さんの提供写真)
浅井さんがはじめて買ったポルシェ356のレプリカ(浅井健一さんの提供写真)

──というと?

浅井 はじめっからなんかトランスミッション回りが壊れてた。めちゃくちゃ見た目は速そうなのに(でもないか)……。だから仲間からは「狼の皮を被った羊」とか「ゴールデンカメムシ」って言われてた(笑)。

しかも壊れてたし。最初から。ドア閉めると「パコン」って音してさ。なんかおもちゃみたいな感じなんだわ。全部グラスファイバーみたいな感じで、全部が軽いし安っぽくて。あれはほんとに大失敗だった。350万円で買ってさ、60万で売ったからね。1年ぐらいかな?乗ったの。

あと安全性もゼロだよ。シートベルトもないからねこれ(笑)。

──はじめてのクルマ購入は失敗がつきものではありますよね。

浅井 うん、まあいい経験だったって思うしかないわ。そのあとはジープチェロキーを買ったんだよね。水色のやつ。これはね、ほんとに良いクルマだったよ。ゴールデンが酷すぎたせいか普通に走ってくれるだけでも有り難かったちゅーかね。この後にジャガーXJSを買うんだけど、それよりも全然良いクルマだったな。

2台目のジープ チェロキー(浅井健一さんの提供写真)
2台目のジープ チェロキー(浅井健一さんの提供写真)

──浅井さんがクルマのどういうところに惹かれるのか気になります。どこがそんなに違ったんですか?

浅井 うーん……多分車にも人柄とか意思があるんじゃないのかな。やる気とか能力とか。

相性?かもしれんしね。なーんちゃって。

なんか、チェロキーはそれが全部良かった。カメムシの後だったからかもだけんど。

──そんな気に入ってたのに乗り換えられた理由みたいなのはあるんですか?

浅井 その時ね、BLANKEY JET CITYの照ちゃん(照井利幸)がカマロのさ、メタリックブラウンのめっちゃんこかっこいいのに乗り始めてさ。それに感銘を受けました。

ちょっと俺もチェロキーに乗ってる場合じゃないなと思って。

──メンバー間の対抗意識が(笑)。

浅井 対抗はしていないよ。やっぱり刺激されるよね。俺もなんか本物に乗りたいなって感じでジャガーを買ったんだけど。 でもジャガーはいまいちだったかな。イマイチというか、全然よくなくてさ。

たまたまその頃PVの撮影に使ったカマロに心奪われてさ。買いました。

単車は「サリンジャー」と、ハーレーにも乗っとったよ。

サリンジャー号(浅井健一さんの提供写真)
サリンジャー号(浅井健一さんの提供写真)

BLANKEY JET CITYメンバーとの思い出──クルマは“主役”ではないけれど、物語になる

──今は若者のクルマ離れが叫ばれて久しいです。特に都心では利便性の観点からもクルマを持つことのメリットに疑問を持つ人が多い印象です。浅井さんの若い頃はクルマってどういう存在だったのでしょうか?

浅井 名古屋だったんですけど。車がないと始まらないって感じでしたね。何をするにしても、買い物いくにしても、バンドの練習にいくにしてもね。彼女とデートするにしてもね。

あの頃ってさ、今に比べたら娯楽が少なくて。スマホなんかないし、ゲームがめちゃくちゃ流行ってるわけでもない。遊びってそんなにないからさ。友達と車で当てのないたびに出たりして、ロマンを探してたのかもね。

女の子と海とかドライブするのが夢でさ、それがすべての時代だったんだよ。

浅井さんも「カッコよかった」と太鼓判を押したシボレー カマロ(浅井健一さん提供写真)
浅井さんも「カッコよかった」と太鼓判を押したシボレー カマロ(浅井健一さん提供写真)

──利便性というよりも、娯楽がないからこそ、クルマとかバイクは“冒険”とか“ロマン”を感じることができる重要な手段だったんですね。

浅井 うん。あとさ、ロードムービー、イージーライダー、ストレンジャーザンパラダイス、street of fireとかさ、映画にかなり影響受けてるよ俺たち。クルマって絶対出てくるじゃん。

──先ほど照井さんのお話がありましたが、バンドメンバーのあいだでもクルマやバイクの話は自然にあったんでしょうか?

浅井 もちろん。みんな乗り物好きだったよ。名古屋時代の時から3人とも単車に乗ってましたね。うちらが高校生ぐらいは、暴走族が結構たくさんいてさ。全盛期なのかな。何百台も集まってるのよくあったからね。ロッカーズやチョッパーはほとんどいなかったんだけど。うちらの仲間はロッカーズやチョッパーが混ざっててさ。

あの頃からそういうのが少しずつ出てきたんだよなって、勝手に思ってるけどね。デビューしてからは照ちゃんも達也(中村達也)もハーレーに乗っとって──達也が買ってきたハーレーがさ、本当にありえんくらい大変だったなー。エンジンがかからなくってさ。それも初めから壊れてたんだよね。2人とも初めから壊れてるものを買っちゃう性格なんですかね?(笑)。

とにかくエンジン調子悪くて、何百回もキックしないとエンジンが吹かなくて。 みんなで汗だくになっとった記憶があるよ。あれは楽しかったな。辛かったけどさ。

──クルマやバイクの思い出が本当にたくさんありますね。もしかして浅井さんって、新しいクルマより古いクルマの方が好きですか? 浅井さんの代名詞ともいえるバイク「サリンジャー号」も30年以上稼働していますよね。

浅井 うーん、どうだろうね。世間的に見れば変なクルマには乗ってきたけど、今は現代の車のってるよ(笑)。

でもさ、クルマやバイクはピカピカじゃない方が好き。ボロい方がかっこいいと思うんだよね。

──ボロい方が?

浅井 うん。なんかさ、普通のサニーだろうがカローラだろうが、その中で音楽をかけたり、二人で笑ってれば、人生が楽しけりゃそれでいいと思うんだよね。むしろその方が、あったかみがあっていい。

クルマってさ、人生の“主役”ではないジャン。でも、すごい大事な存在ではあって。クルマとか単車は道具でさ、どういう体験とか経験をしたかっていう物語が重要なんだよ。

──クルマが重要だった時代というのがそこまで想像できないので、本当に学びがあります。

浅井 まあ、どうしても時代はあるよ。今ってさ、小さい画面にみんな夢中になってる。それが楽しいならそんでいいじゃん。

外の世界に行きたいと願う時、クルマが必要になる

──浅井さんから見て、クルマを持たない今の若い人たちはあんまり楽しそうに見えないっていうこともあったりしますか。

浅井 そんなことないけどね。でもなんかもっと全然、すっげえ心から嬉しかったり笑える世界があるのに経験したことがないんだろうなーこの人。って思えちゃう人は、たまに見かける。

子どもの頃に思いっきり遊んだ経験って、ずっと残るもんだと思っとって。 たくさん遊んだ方が良いんだよね。当たり前だけどさ。 子どもをたくさん遊ばせて、思いっきり笑わして、それがたくさんだったらたくさんなほど──その子が大きくなってから明るい子になるような気がする。だってかつて最高に笑った瞬間をいくつも心の中に持ってるんだから。心が気づいてるんだから。そおいう瞬間を心が持ってるのと持っていないのとでは、かなり人生違ってくると思うよ。

それはクルマへの興味にも繋がるかもね。部屋ってめちゃめちゃ狭いじゃん。でも世界ってかなり広い。毎日を部屋で過ごすだけで満足しちゃうような“ハート”が、問題だと思っとって

小さな部屋では満足できない冒険とかロマンを感じたい時に、クルマやバイクが必要になってくる。それで「クルマ買おうかな」みたいな。そこに繋がるんじゃないかな。 必須ってわけではもちろんないけどね。

浅井さんからもらった写真は、子どもと一緒のものが多かった(浅井健一さん提供写真)
浅井さんからもらった写真は、子どもと一緒のものが多かった(浅井健一さん提供写真)

──クルマを好きになってもらうには、社会的な価値観や教育的な側面から考え直す必要があるということですね。

浅井 わからない。

──浅井ドライビングスクールはとても厳しそうです(笑)。

浅井 めっちゃんこ厳しくておもろいしタメになるぜ。

危険なことから遠ざけすぎるのも、危ないことなんだよ。 あまりにも子どもに安全を優先させすぎると、もし実際に危険なことが近づいてきてるのに、それに気づくことができない。それが一番危険。

うっわー!ビビったー!死ぬところだったぜー!っていう経験は、その子をメチャクチャいっ気に成長させるんだぜ。

──なるほどです。最後に、浅井さんがクルマやバイクの魅力を一言で言うならば?

浅井 SHERBETS(浅井健一さんのバンド)に「知らない道」っていう曲があるんだけど、それに全部詰まってると思う。是非聴いてほしいな。ただの移動手段の一つなんだけど、いろんな夢を見させてもくれたりする。運が良ければロマンも起きる。

──ロマン。浅井さんの楽曲からも通底して感じる要素です。

浅井 それは多分「どっかに行きたいな」って思うこと。特に若い時は。小さな閉じられた世界ではなくて、“外側”に行きたいって思えるかどうか。そこから全部がはじまると思うんだよね。

だから、まあ、難しく考えなくていいんじゃないかな。なんか、良いなって思ったら、乗ればいいし。人間は自由だから。思い切って冒険することによって、人生に宝物が生まれたりするんだと思うよ。なかなか出来んけどな。

関連リンク

浅井健一|SEXY STONES RECORDS
浅井健一SexyStonesRecords (@SSRstaff)|X
SexyStonesRecords (@kenichi_asai_official)|Instagram
SEXY STONES RECORDS|YouTube
浅井健一 (Kenichi Asai)|Facebook
KINTO|公式サイト

  • ミュージシャン: 浅井健一

    1964年生まれ、愛知県出身のミュージシャン。1990年から2000年まで10年間にわたっってBLANKEY JET CITYのフロントマンとして活動し、解散後、自主レーベル・SEXY STONES RECORDSを立ち上げる。ソロ名義に加えて、SHERBETS、AJICO、JUDE、PONTIACSといったバンドで活動。詩や絵画でも注目を浴びており、独特な作品集を発表している。

  • Editor: わいがちゃんよねや

    1986年生まれ。2011年にKAI-YOUを創業。13年にKAI-YOU.netをリリース。書籍編集者やウェブサービスのコミュニティディレクター等を経験して現在に至る。さまざまなポップカルチャーコンテンツのプランニング・マーケティング・プロデュースを行う。記者としては、インターネットやストリートなどで発生する面白い文化やポップな現象を取材・編集・研究を行う。

男のロマンに憧れるものね

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